食べたい。でも食べない。

先日、スーパーでサンマを買った。丸々と太って脂のりもよく1尾98円と安い。帰宅後、早速塩を振り、米を研ぎ、味噌汁の出汁をとりながら考えた。「サンマって、大丈夫なんだよね?」。
TwitterのTLを検索すると「今年初サンマうまー」とか、「秋の味満喫」とか、みんないっぱい食べてる。そういえば少し前には東京・目黒で恒例のサンマ祭り開催のニュースも聞いた。ところが「サンマ+放射能」で検索すると、「今年のサンマは諦めた」と一変する。
改めてネットで調べてみると、北海道の調査では採取したサンマからは微量の放射性セシウムが幾度か検出されている。調査は6月30日から継続して行われており、検出されたのが4回、検出されなかったのが6回だ(北海道における水産物の放射性物質モニタリングなどの結果)。いずれも国が定める暫定規制値の範囲内だけど、しばらく迷ってから結局、サンマは捨ててしまった。

サンマの引き合いに出すのは少し恐縮だけど、9月19日東京・明治公園での「さようなら原発 5万人集会」で最後の登壇者となった武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年実行委員会)の発言を引用したい。

毎日、毎日、否応なく迫られる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
子どもにマスクをさせる、させない。
洗濯物を外に干す、干さない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
様ざまな苦渋の選択がありました。

そんなたくさんの選択は、ときに人と人の軋轢を生む。もしかすると僕が書いているこの記事も、サンマをおいしく食べている人からは快く思われないかもしれない。でもそんな問題を生み出した原因はどこにあるのだろう? あの醜い原発事故がなければ、僕だって大好物のサンマを食べていたはずだ。毎年楽しみにしている秋の味覚を焼き魚で、炙り寿司で、パスタにして、思う存分、味わっていたはずだ。
しかし残念なことに原発事故はいまだ終息していないし、国や東京電力などの対応はいささかずれていて、誠意にかけている部分があるように思える。人任せにせず、できるだけ多くの情報を集め、自分の頭で考えて、冷静に判断することが大事だと思う。そしてなにより、毎日たくさんの判断が必要とされる事態に陥ったそもそもの原因を忘れないようにしたい。そして原発に反対するだけでなく、生活そのものを改めたい。武藤さんがおっしゃるように。

私たちは、
なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、
想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に
思いをはせなければなりません。
原発はその向こうにあるのです。

人類は、地球に生きる
ただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物が
ほかにいるでしょうか。

私はこの地球という美しい星と調和した
まっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、
エネルギーを大事に使い、
工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを
紡いでいきたいです。

武藤さんのスピーチ、まだ読まれていない方はぜひこちらからどうぞ。

ハイロアクション 福島原発40年「9・19さようなら原発・武藤類子さんスピーチ」