ありがとう、スティーブ。

2011年10月6日の朝、寝ぼけ頭で聞いていたNHKラジオ第一放送に臨時ニュースが割り込んできた。アナウンサーはアップルのことを話し始め、「もしや」と悪い予感がよぎる。そう、ニュースはスティーブ・ジョブズの死去を伝えるものだった。TwitterのTLもすぐに訃報でいっぱいになる。体調がすぐれないことは知っていたが、56歳という若さ、そしてiPhone4S発表の翌日というタイミングだ。
でも僕はそのときまで彼の熱心なファンではないと思っていた。プレゼンをリアルタイムで観たこともないし、本だって買っていない。なのに心の中には大きな穴がある。知らないだれかのtweetを読むだけで、涙が流れそうになる。どうしてこんなに悲しいんだろう?
ジョブズの死を知ったとき、僕は自分が彼やアップルが創りだした製品にどんなに強く惹かれ、支えられていたのかを一瞬にして思い出した。生業はライターである僕が、写真やデザインまで仕事を広げられたのは、ワードプロセッサーではなくMacを使っていたからだし、妻と知り合うきっかけになったバイクツーリングのフリーパーパーもMacで作っていたからだ。
そして子どもが生まれたとき、遠方に暮らす両親と初めてビデオチャットをしたのもMacだ。当時、ふたりは僕が譲ったiBookG3でメールするぐらいだったが、iSightを送り、電話で説明しながらiChatを起動すると、あっけなく画面に両親が現れた。長男と楽しそうに話すふたりの様子は今でも覚えているし、そのiBookG3は今でも母のお気に入りだ。
僕たちの仕事にMacは欠かせないし、iPhoneやiPodがない生活も考えられない。そして今日はiPad2を購入した。先日、在京のとある出版社の方とお話する機会があったのだが、日本における電子出版の歩みはなかなか加速しない。僕たちもリトルプレスやフリーペーパーの電子化をしたいと思いつつ、フォーマットが決まらないとね、なんて言い訳してきたけれど、それではいけないと思ったのだ、今日は。
10冊のフリーペーパーを作ったあと、初代iPadの発表で電子書籍に揺れたものの紙の手ざわりとインクの匂いに惹かれ、リトルプレスを出版した。でも販売の難しさや遠方の人へ届けられないもどかしさを感じ、紙+ネットで本作りを続けようと考えていた矢先の訃報。僕たちはジョブズのようなイノベーションは起こせないけれど、彼やアップルが産み出したMacやiPhoneやiPadを使って、本を作り続けていきたい。僕たちらしいクリエイティブを続けていきたいと思う。

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