小さな公園と小さな森の秋について。
2011年12月9日(金)
うちの前には小さな公園がある。小さな滑り台と小さなブランコと小さな砂場。公園の後ろには、やっぱり小さな森がある。木々の多くは落葉樹のため、春には日ごとに新緑が芽吹いていくのが圧巻。夏には森の向こう側が見通せないほどに青々と茂り気持ちいい。そして、秋にはたくさんの落ち葉が公園を埋めつくし、滑り台の上にまで葉っぱが積もるほどだ。毎年、子どもたちはそれを砂場に集めて葉っぱのプールを作り、両手いっぱいに集めて投げたり、だれかを埋めてみたり。とても楽しそうだ。
でも今年は、福島第一原発の事故で放出された放射能が、木々の葉を汚染していないか気になってしまう。近隣の空気中の放射線量を確認してみるとよほど大丈夫かなと思うけど、放射線量はムラがあるようだし、測定器買って測ったほうがいいのかなとか。
被災地から離れた街に暮らす僕たちの日常は、震災直後も大きな混乱はなかった。でもあの日以来、確実に変わってしまったと思う。あれから「もう3ヶ月」、「もう半年」と言われ、おそらくあっという間に1年になるだろう。時間は僕たちの記憶をぼんやり曖昧にしていくけれど、その問題の根っこ(なにが原因で、こんな面倒なことになったのか)については、決して忘れてはならないと思う。
昨日、学校から帰ってきた長男が、「砂場の葉っぱで遊んじゃダメなんだって」と言う。え? まさか? と聞き返すと「ノラ猫がウンチしてるんだって」と。そっかと笑いながら、でもまぁ、今年はやめておこうかと話した。そして来年は思う存分、遊べるといいねと思った。